すでに髪結床(かみゆいどこ)である以上は、御客の権利として、余は鏡に向わなければならん。しかし余はさっきからこの権利を放棄したく考えている。鏡と云う道具は平(たい)らに出来て、なだらかに人の顔を写さなくては義理が立たぬ。もしこの性質が具(そな)わらない鏡を懸(か)けて、これに向えと強(し)いるならば、強いるものは下手(へた)な写真師と同じく、向うものの器量を故意に損害したと云わなければならぬ。
虚栄心を挫(くじ)くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己(おの)れの真価以下の顔を見せて、これがあなたですよと、こちらを侮辱(ぶじょく)するには及ぶまい。今余が辛抱(しんぼう)して向き合うべく余儀なくされている鏡はたしかに最前から余を侮辱している。右を向くと顔中鼻になる。
左を出すと口が耳元まで裂ける。仰向(あおむ)くと蟇蛙(ひきがえる)を前から見たように真平(まったいら)に圧(お)し潰(つぶ)され、少しこごむと福禄寿(ふくろくじゅ)の祈誓児(もうしご)のように頭がせり出してくる。
いやしくもこの鏡に対する間(あいだ)は一人でいろいろな化物(ばけもの)を兼勤(けんきん)しなくてはならぬ。写るわが顔の美術的ならぬはまず我慢するとしても、鏡の
構造やら、色合や、銀紙の剥(は)げ落ちて、光線が通り抜ける模様などを総合して考えると、この道具その物からが
醜体を極(きわ)めている。
小人(
しょうじん)から罵詈(ばり)されるとき、罵詈それ自身は別に痛痒(つうよう)を感ぜぬが、その小人(しょうじん)の面前に起臥(きが)しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だろう。
その上この親方がただの親方ではない。そとから覗(のぞ)いたときは、胡坐(あぐら)をかいて、長煙管(ながぎせる)で、おもちゃの日英同盟(にちえいどうめい)国旗の上へ、しきりに煙草(たばこ)を吹きつけて、さも退屈気(たいくつげ)に見えたが、這入(はい)って、わが首の所置を托する段になって驚ろいた。
髭(ひげ)を剃(そ)る間は首の所有権は全く親方の手にあるのか、はた幾分かは余の上にも存するのか、一人で疑がい出したくらい、容赦(ようしゃ)なく取り扱われる。余の首が肩の上に釘付(くぎづ)けにされているにしてもこれでは永く持たない。
彼は髪剃(かみそり)を揮(ふる)うに当って、毫(ごう)も文明の法則を解しておらん。頬にあたる時はがりりと音がした。揉(も)み上(あげ)の所ではぞきりと動脈が鳴った。顋(あご)のあたりに利刃(りじん)がひらめく時分にはごりごり、ごりごりと霜柱(しもばしら)を踏みつけるような怪しい声が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方をもって自任している。
最後に彼は酔っ払っている。旦那えと云うたんびに妙な臭(にお)いがする。時々は異(い)な瓦斯(ガス)を余が鼻柱へ吹き掛ける。これではいつ何時(なんどき)、髪剃がどう間違って、どこへ飛んで行くか解らない。使う当人にさえ判然たる計画がない以上は、顔を貸した余に推察のできようはずがない。得心ずくで任せた顔だから、少しの怪我(けが)なら苦情は云わないつもりだが、急に気が変って咽喉笛(のどぶえ)でも掻(か)き切られては事だ。
「石鹸(しゃぼん)なんぞを、つけて、剃(す)るなあ、腕が生(なま)なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云いながら親方は裸石鹸を、裸のまま棚の上へ放(ほう)り出すと、石鹸は親方の命令に背(そむ)いて地面の上へ転(ころ)がり落ちた。
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